映画「トノバン」を観てきた


5月31日より、全国公開された映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」を鑑賞してきた。
https://tonoban-movie.jp/#


まず前提として、僕の加藤和彦に関する知識は、
サディスティック・ミカ・バンドの「黒船」であるとか、2006年の再結成、映画「パッチギ」の中で、フォーククルセダーズの「イムジン河」が挿入歌として使用されていたぐらいのことである。

映画の話題性がどのようなものかはわからないし、連休の映画館で1日わずか2回の上映にも関わらずまばらな座席状況ではあったが、結論観てよかったと思う。

【全盛期の活動を時系列に整理】
僕の中では加藤和彦は、どこか「掴みどころのない人物」だと思っていた。
フォーククルセダーズのような「THE日本のフォークソング」から、サディスティック・ミカ・バンドのような「THE洋楽ロック」といった、とても同一人物による楽曲とは思えない振り幅だからだ。

1970年代から亡くなる2009年までの期間を2時間の映画にまとめるという都合上、途中で時代が大幅に飛んだのは致し方ないが、全盛期と観られる「フォーククルセダーズ時代」・「サディスティック・ミカ・バンド時代」・「ヨーロッパ3部作時代」の激動の時代をインタビュー映像・貴重映像とともに時系列に整理されていて、その時代への理解が深まった。

映画を見て自分なりに解釈した加藤和彦の人物像としては、あえて敬意を込めて言うと、「変人だな」と思った。これが「掴みどころのなさ」の正体なのかなと。

考えてみると、「フォーク」クルセダーズと名乗るグループが、「帰ってきたヨッパライ」みたいに、テープの回転数を早め、自らの歌声を無視するかのような変な歌を作るような人物ならば、洋楽に目覚め、サディスティック・ミカ・バンドでいち早くプログレを取り入れることには納得がいく。

【日本で初めてレゲエを作った】
うろ覚えではあるが、泉谷しげるのインタビューシーンで語られた、「君の便りは南風」という楽曲の制作秘話が個人的に好きだ。
後にサディスティック・ミカ・バンドとなるメンバーを擁し、加藤和彦がイメージする南米のリズムを取り入れた奇抜なアレンジに、泉谷の理解が追いついていなかった様子。
どうやらその音楽はそれが「レガエ」というものだったという話。
結果として「君の便りは南風」は日本初のレゲエ曲になったという。

【高橋幸宏、渾身の「伝承」】
高橋幸宏・坂本龍一など、すでに亡くなった名だたるミュージシャンのがインタビュー出演していた。初見ではこの映画のためのインタビュー映像だったのかどうかわからなかったが、鑑賞後に調べてみると、この映画そのものが、高橋幸宏の提案から始まったという。映画制作の途中で亡くなられたのであろう。エンディングでは、高橋幸宏に捧げる映像と、追悼クレジットが流れていた。
どこか、高橋幸宏が生前に遺した、ビデオメッセージのような感覚になった。


音楽は、「音のインフラ」だと僕は思っている。
加藤和彦は、常に一歩先をいくセンスで世界の音楽を取り入れ、当時としては先鋭的な楽曲を制作していた(同じ時代を生きていたら多分聴いてない)一方で、吉田拓郎の「結婚しようよ」や、泉谷しげるの「春夏秋冬」など、大衆ウケする流行歌の楽曲提供も行っており、昭和の「音のインフラ」たり得る人物であることがこの映画で理解できた。
加藤和彦が自ら命を絶ってしまった要因として、音楽に対する絶望が一端にあるようであることをさまざまな記事で読んでいるが、もしも、今の時代を生きていたとしたら、生身の人間では発することのできない高音を実現したボーカロイドや、AIですら音楽を作るこの時代に、その一歩先を進む音楽を生み出す世界線があったのだろうか。
そんなことを想像してしまったのであった。


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